まつりん語り

ただ語りたいオタクです

久しぶりに三次元で推しができたら辛かった

長年二次元オタクを続けてきた私だが、最近久しぶりに三次元で推しができた。


かつて私はジャニオタとして生きていた時期があったが、ここ数年はソシャゲに生きがいを感じながら生活している。
しかし最近ゲーム実況を見ることにハマり、とうとう推しの実況者というのが出来てしまった。
 
ファンとして完全に新参者で申し訳ないのだが、めちゃくちゃ好きになった。もう暇さえあれば動画を見てゲラゲラ笑っている始末である。
 
しかし、アイドルでもなんでもない言わば一般人としての一面も持ち合わせており、しかも生身の人間を好きになったのはあまりにも久しぶり過ぎて色々と辛かった。辛すぎてブログまで始めてしまった。
 
まず私は彼等(数名で活動している)の日常を全て知ることが出来ないと言うのが致命的に辛い。私がジャニオタをやめた原因の一つとして「担当の本当の姿が分からない」というものがあった。私は日常のなんでもない仲良しエピソードとか素の感じを見るのが馬鹿みたいに好きなのだ。
 
ファンの前でキラキラしている推しが最高なのはもちろんだが、普段の生活や普段メンバーとどんな会話をして笑っているのか...みたいな事に萌を感じる人間なのである。
しかし芸能界はあまりにも色々な噂が多すぎて何が嘘で何が本当なのか分からない、その環境に疲れだんだん離れてしまった。
 
その点でいうと二次元は最高に楽だ。いわば公式からの供給が全てであり、それ以外の事柄においての正解というのはメタ的になるが存在しないと捉えることが出来た。つまり私達の妄想が間違いであり正解なのだ。だから二次創作には無限の可能性を感じるし公式が否定しない限りそれは間違いではないと思う事ができた。
 
しかし三次元はそうでは無い。いくら私が推しの休日を想像してもそれは正解とは限らないのだ。それがもうほんとに辛い。私は正解が知りたい。でも知る術は本人が公開するのを待つ他ないのが辛い、泣く。
本人が別にこれは言う程でもないな〜と思い言わなかった事、それが知りたすぎて辛いのだ。どうでもいいなんでもいいけど笑った事とか怒ったこと、その喜怒哀楽全てを知りたい!と思ってしまうめんどくさい人間なのだ私は。
 
第二にあるのは生身の人間だからこそある限界というのが辛い。
二次元は歳を取らない(ものがほとんど)し色々なコンテンツに同時期に参加?出来る。つまり課金などを通じて需要があると判断されると大体の運営組織はコンテンツの拡大を行う。その結果供給が増える。という循環が出来上がっている。
 
しかし三次元は難しい。推しは生身の人間だからもちろん疲れるしプライベートもある。需要があるからと言って簡単にコンテンツの拡大ができる訳では無いのだ。アイドル事務所等に所属していない彼等にとっては特に。
二次元での沼が人気ジャンルばかりで最早供給過多みたいな状況になっている私にとって
それはとても辛い事だった。
 
もちろん課金は三次元においても大切なことだが、それとは全く関係の無い所(プライベートでの環境の変化、精神的な問題など諸々の事情)によってある日突然表舞台から姿を消すかもしれない...という心配が常に脳裏によぎるのである。
 
しかしやはり推しが好きなので無理はして欲しくない、辛いなら無理して欲しくないとも思ってしまう。だから余計に辛い。
 
と言った感じで三次元と二次元とでは状況があまりにも違う事に今更気づいてしまい辛くなった、ジャニオタからソシャゲオタに移った時は何も思わなかったくせに。
しかし推しができたことは素直にめちゃくちゃ嬉しい。だからやはり推しが幸せに実況を続けてくれる事が目下の願いであり私の幸せでもあるので新参者は新参者らしくもっともっと推しを知るところから始めたい。だからなんでもない幸せエピソードだけでもバンッバンファンに話して欲しい、少なくとも私は泣いて喜びます。